2. 《市民詩》と《純粋芸術詩》
A) 時代情勢
先述のように、フィクションは当時の世相を反映したものであるから、今回扱う19世紀の時代情勢を通り一遍、確認しておく。
19世紀初頭のナポレオン戦争[2]後、ウィーン体制において反動保守を強化したロシアだが、1853~1856のクリミア戦争(VS英仏土)の敗北でその後進性を強く意識することとなる。皇帝アレクサンドル2世は農奴解放令(1861)をはじめとする大改革を行うが不十分に終わり、知識人階級の間では革命への機運が高まっていく。ナロードニキ運動などの社会的潮流のもと、1881年のアレクサンドル2世暗殺に至るまで、19世紀中後半のロシアは激動の時代を経ることになる。まさにこの革命期にあって、暗い時代に反発するように、文学や芸術にも活力が生まれたのである。
B) ネクラーソフらの《市民詩》
① ネクラーソフの詩
ここではニコライ・ネクラーソフ(Никола́й Некра́сов / Nikolay Nekrasov [3] )(1821~77)を農民目線で社会問題をみつめた詩人として取り上げる。ただそれだけでなく、彼は雑誌『同時代人』(Совреме́нник / Sovremennik)の編集者として活躍するなど、文壇の主導者・才能の発見者としての名声も高い。ドストエフスキーを有名にした人物の一人でもある。
(ア) 『正面玄関での考えごと』Размышле́ния у пара́дного подъе́зда / Razmyshlénija u parádnogo pod"ézda(1858)の一節
И несу́т э́ти лю́ди безве́стные / Неисхо́дное го́ре в сердца́х. <中略> Назови́ мне таку́ю оби́тель, / Я тако́го угла́ не вида́л, / Где бы се́ятель твой и храни́тель, / Где бы ру́сский мужи́к не стона́л? <中略>Выдь на Во́лгу: чей стон раздаётся / Над вели́кою ру́сской реко́й? / Э́тот стон у нас пе́сней зовётся — / То бурлаки́ иду́т бечево́й!.. / Во́лга! Во́лга!..
I nesút jéti ljúdi bezvéstnye / Neishódnoe góre v serdcáh. <中略> Nazoví mne takúju obítel', / Ja takógo uglá ne vidál, / Gde by séjatel' tvoj i hranítel', / Gde by rússkij muzhík ne stonal? <中略> Vyd' na Vólgu: chej ston razdajotsja / Nad velíkoju rússkoj rekój? / Jétot ston u nas pésnej zovjotsja — / To burlakí idút bechevój!.. / Vólga! Vólga!..
そしてこれらの無名の人々(=農民・労働者)が抱えるのは / 心の中の終わりなき悲しみである。<中略> そんな土地を私に教えてくれ、 / 私はそんな一隅を見たことがない、/ お前(ここでは貴族を指している)には種をまく者と守る者(=農民)がいる場所で、/ ロシアの農民が苦しんでいない場所を(教えてくれ)。(そんな場所はあるのか? いや、そんな場所はない) <中略> ヴォルガ川に来てみろ:誰のうめき声が響いてくるのか? / それは雄大なロシアの川に(響いている)。 / このうめき声は、われわれのところでは歌と呼ばれている― / そして船曳きたちが綱で(船を)引いている! / ヴォルガ!ヴォルガ!
ヴォルガ川をさかのぼる船を牽引する過酷な労働があったのだ。この詩は、農民や労働者の生活の苦悩を生々しく書き切っている。形式的な同情にとどまらず、圧倒的なリアリティをもって読者に迫るのがネクラーソフの詩の特徴である。
(イ) 『農民の子たち』Крестья́нские де́ти / Krest'jánskie déti (1861)の一節
Чита́тель, как «ни́зкого ро́да люде́й», — / Я всё-таки до́лжен созна́ться откры́то, / Что ча́сто зави́дую им: / В их жи́зни так мно́го поэ́зии сли́то, / Как дай Бог бало́ванным де́ткам твои́м. / Счастли́вый наро́д! Ни нау́ки, ни не́ги / Не ве́дают в де́тстве они́.
Chitátel', kak «nízkogo róda ljudéj», — / Ja vsjo-taki dólzhen soznát'sja otkrýto, / Chto chásto zavíduju im: / V ih zhízni tak mnógo pojézii slíto, / Kak daj Bog bálovannym|balóvannym détkam tvoím. / Schastlívyj naród! Ni naúki, ni négi / Ne védajut v détstve oní.
読者よ、「低い身分の者たち」とはいっても― / 私はそれでも正直に告白せねばならない、/ しばしば私は彼ら(=農民)をうらやんでいるということを。 / 彼らの人生には、多くの詩が注がれている。/ お前の甘やかされた子供たちに(お前の代わりに)神がお与えになってほしいと願うほどの多さである。/ 幸せな人々! 科学も満足も、/ 幼き頃に彼らは知らないのだ。
この詩のように、ネクラーソフは、貴族など体制側ではなく農民の生活にこそ目を向けるべきだ、という思想である。
② その他の市民詩陣営の詩
(ア) 『進め!恐怖と疑念を捨てて』Вперёд! без стра́ха и сомне́нья / Vperjod! bez stráha i somnén'ja(1846)の一節
ネクラーソフは農民の生活の描写を通して社会の変革を求めたが、もう少し直接的に革命思想を言葉にする詩人もいた。例えば以下の詩を書いたアレクセイ・プレシチェーエフ(Алексе́й Плеще́ев / Aleksey Pleshcheyev)(1825~1893)[4]である。
Жрецо́в греха́ и лжи мы бу́дем / Глаго́лом и́стины кара́ть, / И спя́щих мы от сна разбу́дим, / И поведём на би́тву рать!
Zhrecov greha i lzhi my budem / Glagolom istiny karat', / I spjashhih my ot sna razbudim, / I povedem na bitvu rat'!
罪と嘘の聖職者たちを、我々は必ず / 真実の言葉で罰する。/ そして我々は眠っている者どもを夢から目覚めさせ、/ 戦いへと軍を導くのだ!
彼にとって聖職者やロシア正教会は既得権益層で敵である。そしてこの「眠っている者」とは、農民のことであろう。
(イ) 『橋の上で』На мосту́ / Na mostú の一節
農民出身のイヴァン・スーリコフ(Ива́н Су́риков / Iván Súrikov)(1841~80)も、はっきりとはしていないが、この潮流の詩人として挙げられることがある。
В раздумьи на мосту́ стоя́л / Бедня́к бездо́мный одино́ко, / Осе́нний ве́тер бушева́л / И во́лны вски́дывал высоко́. / Он ду́мал:<中略> Чего́ же я от жи́зни жду, — / Иль вновь моя́ вернётся си́ла? / Нет, не воро́тится она́,
V razdum'i na mostú stojál / Bednják bezdómnyj odinóko, / Osénnij véter bushevál / I vólny vskídyval vysokó. / On dúmal:<中略> Chegó zhe ja ot zhízni zhdu, — / Il' vnov' mojá vernjotsja síla? / Net, ne vorótitsja oná,
物思いにふけって、彼は橋の上に立っていた。/ 貧しく孤独なホームレスの男だ。/ 秋風が吹きすさび / 波が高く上がっていた。/ 彼は思った。 <中略> 私は人生にいったい何を望もうか― / また、私の生気はふたたび回復するだろうか? / いや、戻りはしまい。
ネクラーソフが迫力ある詩を書き、政治的な訴えを含んだ一方で、スーリコフは淡々と農民や貧しい者の生活を綴る。その切なさもまた、心に響くものがある。
C) フェートらの《芸術詩》
① フェートの詩
アファナーシー・フェート(Афана́сий Фет / Afanasy Fet)(1820~1892)らは、ひたすら芸術としての詩の美しさを追求した。われわれ現代日本人が思い浮かべる「詩」に近いのはこちらの派閥かもしれない。
(ア) 『彼女』Она́ / Oná(1889)の一節
Её кудре́й руно́ злато́е / В тако́м свету́, како́й оди́н, / Изобража́я неземно́е, / Своди́л на зе́млю Перуджин.
Ejo kudréj runó zlatóe / V takóm svetú, kakój odín, / Izobrazhája nezemnóe, / Svodíl na zémlju Perudzhin.
彼女の巻き髪は金色の羊毛 / かの唯一無二の光の中に、/ 地上にないものを描きながら、/ ペルジーノが地上に現した(ものである)。
ペルジーノはルネサンス期に活躍したイタリアの画家のことを指しているようだ。ルネサンスを登場させる点でも、懐古性・芸術性の意識がうかがえる。さらに、かなりもったいぶった言い回し(В тако́м свету́, како́й оди́н)がある。なお「свету́(светの第二前置格)」には「光」と「世界」の2つの意味がある。「地上」という単語に繋がる以上、「世界」の訳を選びたくなるが、やはり前置詞が「в」であるため「光」という訳がよいであろうか(「世界」なら前置詞は「на」の方が一般的だろう)。両義性を持たせたのかもしれない。また、この詩は技法的に、「ое」「дин」で、複数文字の交差脚韻を踏んでいるという美しさも備えている。[5]
(イ) 『歌手に』Певи́це / Pevíce(1857)の一節
Вдалеке́ замира́ет твой го́лос, горя́, / Сло́вно за мо́рем но́чью заря́, — / И отку́да-то вдруг, я поня́ть не могу́, / Гря́нет зво́нкий прили́в же́мчугу. / Уноси́ ж моё се́рдце в звеня́щую даль, / Где кротка́, как улы́бка, печа́ль, / И всё вы́ше помчу́сь серебри́стым путём / Я, как ша́ткая тень за крыло́м.
Vdaleké zamiráet tvoj gólos, górja|gorjá, / Slóvno za mórem nóch'ju zárja|zarjá, — / I otkúda-to vdrug, ja ponját' ne mogú, / Grjánet zvónkij prilív zhémchugu. / Unosí zh mojo sérdce v zvenjáshhuju dal', / Gde krotká, kak ulýbka, pechál', / I vsjo výshe pomchús' serebrístym putjom / Ja, kak shátkaja ten' za krylóm.
遠くで君の声が燃えながら消えていく、/ まるで海の向こうの日暮れのように。/ そしてどこからか突然、私にはわからないが、/ 澄んだ波が真珠のために鳴り響く。/ そして響き渡る彼方へ私の心を運んでおくれ、/ 微笑みのような、やさしい悲しみのある場所へ。 / そして私はもっと高く、銀色の道を駆け上がる、/ 翼の後ろの揺らめく影のように。
日本語に訳しても、(解釈はむずかしいが)美しい詩である。ともすれば世俗によごれてしまう激動の時代に、これほど純粋な詩を作り上げたフェートは、なるほど確かにネクラーソフと対等にやり合えた存在であろう。
② その他の純粋芸術詩陣営の詩
先述の『彼女』にルネサンスの画家が出てきたように、この派閥は古典に立ち返ったことも特徴である。例えば、アポロン・マイコフ(Аполло́н Ма́йков / Apollon Maykov)(1821~1897)の詩の一節を挙げよう。
サッフォー(Сафо́ / Safó)(1841)
Звезда́ боже́ственной Кипри́ды! / Люблю́ я ра́нний твой восхо́д / В часы́, как ночь свое́й хлами́дой / Восто́к тума́нный обовьёт. / Твоя́ блестя́щая лампа́да / Тра́пезы на́ши золоти́т,
Zvezdá bozhéstvennoj Kiprídy! / Ljubljú ja ránnij tvoj voshód / V chasý, kak noch' svoéj hlamídoj / Vostók tumánnyj obov'jot. / Tvojá blestjáshhaja lampáda / Trápezy náshi zolotít,
神聖なるアフロディーテーの星よ! / 私はお前が早くのぼってくるのが好きだ。/ 数時間のうちに、夜は自らの衣で / 霧がかる東方を覆う。/ お前の輝く灯火は / 私たちの宴を金色に包む。
タイトルにもある通りこの詩は古代ギリシャの詩人サッポー(サッフォー)の模倣、という体をとっている。古典の雰囲気を真似たのである。サッポーは『アフロディーテー讃歌』という詩をつくったようで、それがこの詩にも「アフロディーテーの星」(=金星)として反映されている。
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