19世紀ロシア詩における市民詩と純粋芸術詩の二潮流について
高3のころ読書案内に寄稿した原稿そのまま。
(今もそうだけど)文章が荒いし若いね。見方が表層的だ。言葉の力を十分引き出せていないし、思考の力も足りない。
それでも詩の紹介としておいておきます。
1. 導入
前回筆者が寄稿した際に述べたように、文学は現実を映し出している。文題となっている「社会問題」について触れながら、本稿でも文学世界を通じた現実世界への視線の在り方を見ていく。 ひとまず卑近な話...
2. 《市民詩》と《純粋芸術詩》
A) 時代情勢 先述のように、フィクションは当時の世相を反映したものであるから、今回扱う19世紀の時代情勢を通り一遍、確認しておく。19世紀初頭のナポレオン戦争[2]後、ウィーン体制において...
3. 文学の役割
この時代の詩人が、詩や文学のあるべき姿をどう主張したのか、引き続き、二つの派閥の対立に注目して紹介する。 A) ネクラーソフ 哀歌(Эле́гия / Jelégija)(1874) ...
4. 総括
以上のように、激動の19世紀後半、ロシア詩には2つの潮流があった。大改革のなか苦しむ農民の実情を訴える手段として詩を用いたネクラーソフらと、詩の芸術的価値を追求したフェートらである。この対立を広...
5. 注
[1] ロシアに対して親しみを感じるか、感じないかという調査では、実に95.3%が「親しみを感じない」と述べている(内閣府による令和5年9月世論調査)。https://survey.gov-on...