4. 総括
以上のように、激動の19世紀後半、ロシア詩には2つの潮流があった。大改革のなか苦しむ農民の実情を訴える手段として詩を用いたネクラーソフらと、詩の芸術的価値を追求したフェートらである。この対立を広くみれば、自らが目指す高みに至る過程において、社会課題にどう関わるかという問いであり、また、フィクションを現実に向き合う武器とするか、あるいはフィクションを現実からの逃避先にするか、という問題でもある。
社会問題という観点で一見すれば、現実の不正を糾し、貧しき人々に寄り添おうとしたネクラーソフらは「倫理的」であり、一方、現代の問題から目を背け、思弁的に麗句を弄したフェートらは「非倫理的」と簡単に分類できる。されど、貴族など体制側の人間を批判したネクラーソフ自身も、貴族のような振舞いをすることがあり、同時代の作家からその二面性を指弾されたことがある。確かにネクラーソフは苦労の多い人生ではあったが、農民と完全に同じ立場ではない。「他人の苦しみを代弁する」行為は、場合によっては独善的なものに陥らざるを得ない。無力感に苛まれ、詩の美しさまで失われるという面から考えれば、フェートのように世俗を離れて詩の価値を高めることも、悪と断定することはできまい。
ネクラーソフとフェートのどちらの生き方が望ましいかということは一概に決めつけられないが、この難題にひとつ示唆を与えてくれる詩人として、フョードル・チュッチェフ(Фёдор Тю́тчев / Fyodor Tyutchev)(1803~1873)がいるだろう。彼もまたこの時代の詩人である。フェート派に近いとはいえ、完全にはフェート派とは言えない。自然や恋愛を扱った作品もある一方で、外交官という仕事だったため、政治や国家を描写する詩もある。その中でとくに有名なのは、このたった4行の詩『頭でロシアはわからない』であろう。
Умо́м — Росси́ю не поня́ть, / Арши́ном о́бщим не изме́рить. / У ней осо́бенная стать — / В Росси́ю мо́жно то́лько ве́рить.
Umóm — Rossíju ne ponját', / Arshínom óbshhim ne izmérit'. / U nej osóbennaja stat' — / V Rossíju mózhno tól'ko vérit'.
頭でロシアはわからない / 普通の定規では測れない / 特別な個性を持っているのだ― / (我々は)ロシアを信じるしかできない
「頭でロシアは理解できない」と切り捨て、「信じるしかない」とあきらめる。これを箴言として拡大解釈すれば、決してこの対象はロシアにとどまらない。自分にとって未知なものを無理に理解した気にならず、まず受け入れてしまう、という姿勢である。それは他のチュッチェフの詩や、自分を詩人と認めることがなかったチュッチェフ自身の態度に繋がるかもしれない。ネクラーソフらのように、暗い時代への怒りを叫ぶのもよかろう。フェートらのように、暗い時代を見放すのもよかろう。されど、チュッチェフのように、様々な立場を移りながら、どんな時代でも言葉を大切に謙虚に生きていく姿勢は、ひとつ参考になるものがあるだろう。
彼らが活躍した19世紀後半のロシアと同様、この21世紀も激動の時代である。暗澹たる状況の中、「遊びをせんとや生まれけむ」などと悠長にうたえる余裕はない。変化の中、現実世界を生き延びるのが精いっぱいである。そんな人生には何か縋るものが必要である。だがその信じるものが現代の産物ならば、時代の変化に伴いすぐさま崩れてしまう。然れども、長いこと時代を生き延び、数多の人々に知恵や精神的な支柱を提供してきた物語こそ、共時的・通時的に普遍的な価値基準となる可能性を隠している。古昔の文学に触れることは、いまなお価値を失わない。
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