3. 文学の役割
この時代の詩人が、詩や文学のあるべき姿をどう主張したのか、引き続き、二つの派閥の対立に注目して紹介する。
A) ネクラーソフ
哀歌(Эле́гия / Jelégija)(1874)
Пуска́й нам говори́т изме́нчивая мо́да, / Что те́ма ста́рая «страда́ния наро́да» / И что поэ́зия забы́ть её должна́. / Не ве́рьте, ю́ноши! не старе́ет она́. <中略> Толпе́ напомина́ть, что бе́дствует наро́д, / В то вре́мя, как она́ лику́ет и поёт, / К наро́ду возбужда́ть внима́нье си́льных ми́ра — / Чему́ досто́йнее служи́ть могла́ бы ли́ра?..
Puskáj nam govorít izménchivaja móda, / Chto téma stáraja «stradánija naróda» / I chto pojézija zabýt' ejo dolzhná. / Ne vér'te, júnoshi! ne staréet oná. <中略> Tolpé napominát', chto bédstvuet naród, / V to vrémja, kak oná likúet i pojot, / K naródu vozbuzhdát' vnimán'e síl'nyh míra — / Chemú dostójnee sluzhít' moglá by líra?..
変わりやすい流行には私たちのことを言わせておけ。 / 「『人々の苦しみ』というテーマは古い」(と世間は言うだろう) / そして「詩はそのテーマを忘れるべきだ」(と世間は言うだろう) / (その言葉を)信じてはいけない、若者よ! そのテーマは色褪せないのだ。<中略>人々(=農民)が困窮していることを、世間に伝えること、/ 大衆がよろこび歌ううちに、/ 人々(=農民)への世間の強い関心を喚起すること― / 竪琴(=詩)がこれより奉仕に値するものは何であろうか?(いや、ない。詩が最も役に立つのはここである)
ここで詩は社会問題を提起するのにふさわしい道具として捉えられている。なお、「наро́д」という単語は「国民」「人々」「民族」などという様々な意味がある多義語だが、ここでは「農民」を指す言葉として使われていると推測される。ナロードニキ運動の「ナロード」の使われ方と同じであろう。[6]
B) フェート
フェートのほうも見てみよう。革命的民主主義者であるチェルヌイシェフスキー(Черныше́вский / Chernyshevskii)が著したユートピア小説『何をなすべきか』(Что де́лать / Chto delat)(1863)という本がある。革命思想の伝播の面でベストセラーとなり、のちにレーニンにも影響を与えることになるが、フェートは以下のように「文学としての価値を欠く」として批判している(以下の文章は批評であって詩ではない)。
Ску́дность изобрете́ния, положи́тельное отсу́тствие тво́рчества, беспреста́нные повторе́ния, преднаме́ренное кривля́нье самого́ дурно́го тону́ и ко всему́ э́тому беспо́мощная коря́вость языка́ превраща́ют чте́ние рома́на в тру́дную, почти́ невыноси́мую рабо́ту. <中略> Су́щность не в рома́не, не в тво́рчестве, а в и́стине, в пропага́нде.
斬新さに乏しく、創造性ははっきりと欠け、繰り返しは延々と続き、最悪の筆致でわざとふざけている。そしてこれらすべてに加えて、言葉遣いは絶望的にぎこちないため、この小説を読むことは困難でほとんど耐えられない行為である。<中略> (この本の)本質は小説や創造性にあるのではなく、真理とプロパガンダ(を説くこと)にある。
かなり言葉遣いが荒いが、フェートからすれば、過激な思想で文学の創造的価値を貶めることは決して許されなかったのであろう。
C) アレクセイ・トルストイ
フェートと同じく、純粋芸術詩派と目されるА.К.トルストイ(Алексе́й Толсто́й / Aleksey Tolstoy)(1817~1875) [7]は、詩人の在り方についてこう述べている。
無駄に、芸術家よ、お前は考える。Тще́тно, худо́жник, ты мнишь / Tshhétno, hudózhnik, ty mnish' (1856)
Мно́го в простра́нстве неви́димых форм и неслы́шимых зву́ков, / Мно́го чуде́сных в нём есть сочета́ний и сло́ва и све́та, <中略> O, окружи́ себя́ мра́ком, поэ́т, окружися молча́ньем, <中略> Вы́йдут из мра́ка – всё я́рче цвета́, осяза́тельней фо́рмы, / Стро́йные слов сочета́ния в я́сном сплету́тся значе́нье – / Ты ж в э́тот миг и внима́й, и гляди́, притаи́вши дыха́нье, / И, созида́я пото́м, мимолётное по́мни виде́нье!
Mnógo v prostránstve nevídimyh form i neslýshimyh zvúkov, / Mnógo chudésnyh v njom est' sochetánij i slóva i svéta, / No peredást ih lish' tot, kto uméet i vídet' i slýshat', <中略>O, okruzhí sebjá mrákom, pojét, okruzhisja molchán'em,<中略> Výjdut iz mráka – vsjo járche cvetá, osjazátel'nej fórmy, / Strójnye slov sochetánija v jásnom spletútsja znachén'e – / Ty zh v jétot mig i vnimáj, i gljadí, pritaívshi dyhán'e, / I, sozidája potóm, mimoljotnoe pómni vidén'e!
この世には、見えない形や聞こえない音が数多あり、/ そこには、言葉と世界のすばらしい組み合わせが数多ある。<中略> おお詩人よ、自らを闇で包め、静寂に囲まれよ。<中略> 暗闇の中から現れるのだ―いっそう鮮やかな色彩や、よりはっきりとした形が。/ 整った清らかな言葉の組み合わせが、明確な意味を紡ぎ出す。/ 君もこの瞬間、耳を傾け、見つめよ、息をひそめながら。/ そしてその後創作しながら、そのかすかな幻影を思い出せ!
ここで述べられていることは、われわれ現代日本人の感性から見た「芸術家」の在り方に近く、抽象的に感じられる。だが、「自分を暗闇で包め(окружи́ себя́ мра́ком)」というフレーズは、現実に盲目たることを促す。「目に見えない形や聞こえない音」をつかむためには、現実から離れねばならないと説いているのである。純粋芸術詩の立場が現れた詩といえるであろう。
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